安藤忠雄という人物

私は安藤忠雄という人物を、今までよく知らなかった。

 

「仕事の作り方」安藤忠雄 著

「野獣の肖像」古山正雄 著

上記、二冊を読んだ後、安藤忠雄という人物に対する印象が変わった。

 

なぜ日本の建築家がここまで有名になり、そして世界を相手に戦うようになったのか、少し理解できるようになった。

そして今、私はそれをしっかりと知れて良かったと思っている。

 

私が意識して理解しようとした“安藤忠雄”は、

「どんな建築家であっても、どんな芸術家であっても、見た目や形がただ素晴らしいだけでは世界では戦えない。何か信条や信念など、裏に隠されたものがあるはずだ。それを少しでも見出したい。」

ということだった。

 

やや引用が多くなるが、私が理解した“安藤忠雄”を以下に述べてみた。

 

仕事への考え方

安藤先生の仕事の考え方は、生まれた時代には珍しく、合理主義、幾何学、一貫性である。

つまり、一切の無駄を排除した建築が、安藤先生における様々な建築群の特徴なのであろう。

 

第一に合理主義については、安藤の建築観、そして人生観も、まさしく合理主義に立脚している。・・・中略・・・

第二の意匠的側面については、安藤の建築は、ユークリッド幾何学を建築化した空間といってよい。まさしく抽象の美学と呼ぶにふさわしい。

第三に社会改革に対する志向性に関しては、安藤ほど強い思いを抱いている人は珍しい。デビュー当時から一貫して庶民の住宅にこだわり、建築を通じて社会を変えて行くことを夢見ている。

ー野獣の肖像ー

 

そして、インターネットの時代においても、仕事は最終的には、人と人との付き合いになる。なので、自らの目で人を見て判断する、ある種の審美眼みたいなものも持っていた。

 

建築は規模が大きくなると、設計から完成まで5年以上の歳月を要する。仕事をともにしようとする相手が、この先5年間もつかどうかを、自分の目で確かめに来ているのだ。物事の決定は他人に委ねない。必ず自分で判断する。私が出会った優れた経営者たちに共通した特徴だった。

ー仕事のつくりかたー

 

 

安藤先生はなぜ世界を相手に仕事ができるようになったのだろうか。人と人とのコミュニケーションを大事にしたからかもしれない。それとも時代には珍しいコンクリートを使った建築物を一貫して作ったからかもしれない。

 

と考えたが、読み進めていく内に違った理由が見えてきた。

先生は建築の真理に出会っていて、それを自らの建築物で実現していたのだ。

 

建築の真理とは「数学」である。

 

数学とは即ち、建築に潜む人間の理性の力である。それが古代から近代のコルビュジエにまで連綿と続く西欧建築の本質であり、それこそが自身の生まれ育った日本の建築と西欧のそれとの決定的な差異なのだと。

ー野獣の肖像ー

 

 

当時の日本において、西欧型建築は少なかった。

もちろん緻密な建築物はあったが、数学をふんだんに使って比率などが見え隠れするような建築物が少なかった。

そんな時代に出現した安藤先生はまさしく異端だったと思う。

 

少年の頃に憧れていた木型職人との付き合いは「鏡像段階」に相当する。そして青年期には、 パルテノン神殿において「建築とは数学なり」という啓示を受けるが、これこそ秩序の世界である「象徴界」への参入という成長段階を意味している。

ー野獣の肖像ー

 

 

世界の安藤を形作った経験

なぜ、安藤先生は世界の安藤と成りえたのだろうか。

単に建築士といったら、日本だけでもごまんと居る。しかも、全世界となるともっといる。それでも、安藤先生は今なお最前線で、世界を相手にして戦っている。

きっと幼少期や過去の経験にきっかけがあったはずだと私は考え、本を読み進めた。

 

それで、理解したことがある。

・精神鍛錬

・普遍の法則の発見

だった。

 

安藤先生は、かつてボクシングをしていた。それに驚いた。そしてしかも、タイトルを取るなど、良い成績を収めている。なおかつ、タイへも遠征へ行っている。

当時の海外を想像すると、今と比べてインターネットもなく、情報がないので、そのプレッシャーは測ることができない。

そのボクシングを通じて培った精神鍛錬の基礎が、世界の安藤を形作ったのかもしれないと思った。

 

ボクシングは、孤独で危険なスポーツである。恐怖心に打ち勝つために厳しく自己を鍛え上げる精神力が必要であり、彼は今も、ボクサー時代の自己鍛錬を続けている。毎日寝る前の運動ーストレッチ体操、歯茎を鍛え、視力を保つトレーニング、腹筋運動、背筋運動、上腕筋の運動を、50年間おこたったことはない。継続は力であるという安藤の人生観の表れでもある。

ー野獣の肖像ー

 

 

普遍の法則の発見に関しては、安藤先生がかつてヨーロッパを旅し、ギリシャパルテノン神殿を見た際に行きついた考えだそうだ。パルテノン神殿は、数学的な美があり、その美が西洋建築と日本建築の違いだった。どちらが良いっていうのはないが、古代から脈々と続くその美の法則を発見したことは、日本建築界においては革命的だったかもしれない。

 

そうした発見はきっと、建築物についてずっと考えて考えて考えて、その先にようやく見えるものだと思う。そういった意味では、安藤先生は建築について、並みの建築家よりも数百倍考えてきたんだろうと思う。

 

建築には合理性と技術のほかに即興性も必要である。モダンジャズは即興の芸術といわれる。

また具体も、既成の概念にとらわれない新たな美術の可能性を探求した芸術家集団である。偶然にも時代を象徴する二つの文化と出会い、私は目を見開かされた。

ー仕事のつくりかたー

 

 

考え続けることが、既成の概念にとらわれない方法なのだろうと思った。

 

大阪を代表する人間として

恥ずかしながら、私は安藤先生が大阪出身だとは存じ上げていなかった。

今まではあまりに身近ではない人間だったからだ。しかし、初日で安藤先生にお会いし、そして本を貸して頂け、少し身近な人物となった。

 

特に「仕事のつくりかた」は、大阪への想いが溢れていた。

大阪のことも考えながら、世界の安藤として活動する姿は素直にかっこいい。そして、私自身も大阪出身のため、読んでいて嬉しくなった。

 

特にこの一文には、読みながら頷いてしまった。

 自由で大胆な経営者や文化人たちとの出会いから、私は多くのことを学んだ。一人の間が発する強い思いに対しては、全く縁がなくても、必ず反応してくれる人がいるのが大阪である。人間同士が近くて面白い。私もまた、大阪人であることに誇りを持っている。だから、死ぬまでこの地で仕事をしたい。

ー仕事のつくりかたー

 

 

私も大阪で生まれ育った人間として、大阪と東京の違いはあると思っている。安藤先生がいうように、人間同士の距離感が違う。悪く言うとおせっかいだが、良く言うと親身である点だ。

大阪人が大阪を誇れるように良い点をもっと創造できればと思っているし、海外から来た人が大阪は楽しいって言ってくれるような街になれば嬉しいと思う。

 

日本への思い

安藤先生の日本への思いは、並並ならぬものがある。それは世界の安藤忠雄だからだろうと思った。世界を俯瞰的に見て、今の日本の現状では満足できない見えたのかもしれない。

よく日本の教育は批判の対象に上がる。安藤先生も同様に考えていた。

 

まず飼いならされた子どもたちに野性を取り戻させたい。野性を残した子どもたちが知性を身につけ、自らの意思で世界を知り、学べば、日本を生まれ変わらせる可能性をもつ人材が育つだろう。 この国が再び生き残るには技術革命より、経済より、何より自立した個人という人格をもつ人材の育成が急務である。

真の人格を育てる教育にこそ劣化した人間と国家の再生がかかっている。

ー仕事のつくりかたー

 

 

こういった信条が安藤先生を、世界の安藤や、日本の政治や経済と繋がっている安藤とするのだろう。俯瞰的に見て、大阪だけでなく日本をいかに良くしようかと思考しているのは、素晴らしいと思う。

 

まとめ

私個人的には、「仕事のつくりかた」の方が読んでいて楽しかった。なぜなら、安藤先生の言葉で書かれた文章であり、人物像を良く知ることができたからだ。

「野獣の肖像」に関しては、どちらかというと建築論や芸術論など、少々難解であった。それでも、安藤先生の人となりを知ることができ、勉強になったのは間違いないが。

 

安藤先生は、子どもの顔を見せる。

私は初めてお会いした時、「子どものような笑顔だな」と思ったことを覚えている。

それは下記の言葉を安藤先生が常に持っているからだろう。

 

好奇心が人を巡り合わせ、夢が人を繋いでいく。

ー仕事のつくりかたー

 

 

かつてピカソが、「この年になって、やっと”子どもらしい"絵が描けるようになった。」と言った。好奇心と夢とは、子どもが持っているものだ。それを安藤先生は今でも持っている。

好奇心を持って生きているからこそ、夢ができる。それは自分がこれだと思ったことをやり続けているからだろう。そして、それを通じて社会が少しでも変わったらという夢があるから、子どものような笑顔やパワーが生まれてくるのかもしれない。

 

「自分が好きだと思う食べ物は、好きな食べ物ではない。毎日毎日、飽きずに食べられるものこそ、好きな食べ物だと思え」

ー野獣の肖像ー

 

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